この度、氏子の角谷浩志氏から一枚の大きな古地図が届けられました。感謝申し上げます。明治二十一年編纂の赤桶の地図のようである。地図の下部には赤桶村戸長を始め、境界を接する村々の戸長数名の署名がある。
私にとってとくに興味深いのは赤桶地内数カ所に点在する鳥居のマークです。実際、水屋神社は明治二十四年の神社合祀令によって赤桶地内の六社と作滝地内の瀧野神社を水屋神社に合祀したものと思われる。これらの神社跡地を私は以前から探索しています。すでに片栗子の、源義経が創建したと伝える相模正八幡宮と、作滝の瀧野神社跡は皆様のご協力で既に確認済みです。しかし問題なのは残り五社です。
そこで皆さん残り五社の跡地をもしご存じの方はどうかご一報いただきたいと存じます。現代に生きる我々は父祖の足跡を辿り、その御霊をしっかりとお慰めしなければならないと思うのです。
(右下の文字)
伊勢国飯高郡赤桶村全図 本村戸長
六千分之壱 川合六三郎(印)
〔同名につき略〕
同郡田引村戸長
宮本覚兵衛(印)
同郡仁柿村戸長
中尾寅之助(印)
一志郡丹生俣村戸長
力石義質(印)
一志郡川上村戸長
池村中(印)
〔一名略〕
この地図で興味深いものの一つは、水屋神社南方に描かれた御社です。ちょうど現在の「さかさま」の位置に当たります。
「さかさま」はあの「国分け伝説」にも登場する名勝で、眼前に深く櫛田川の水を湛える淵があります。この場所が崖と淵に挟まれた場所であることから、恐らく「水」に深く関わりの有る御社かと考えられますが、その名称は詳らかではありません。今後も引き続き調査を行いたいと存じます。
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