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ホーム水屋神報>152号(平成15年4月29日発行)
 

不思議な写真

宮司 久保憲一

 つい先日、鎮守の森は環境破壊の防塁と考える名古屋の会社社長が神社を参拝され、水屋神社の荘厳な神域に感動したという感謝メイルをいただいた。そして「参拝させていただきました時、写真に不思議な光が入りました。私は宗教家でも、霊能者でもありません。これは私の指でもありません。水滴だとしたらデジカメのレンズが小さすぎ水滴がつく大きさもありません。ましてやシャッターを押す時、白い光が見えました。そのままシャッターを押したのですが。…神秘の光なのか?自然現象なのか?…このような写真は初めてです。」
 常山和哲君は「凄いです。凄いです。白い発光体が弾んでいるように感じます。暗い本殿裏に単独した光が入るはずが無いです。」 
 グラフィックデザインに詳しい田中克昌君も「すごいですね!画像加工するソフトで明暗、コントラストなどを調整してみて思ったのは、フラッシュ撮影でないとすれば間違いなく光そのものだと思います。 ですが、フラッシュを使用した場合、虫や葉などとも考えられます。色調を反転(ネガのように)してみたらこの光の発光量が空と同じくらい多いです。つまりフラッシュの光にも似ています。ただ、この光は神木の囲いよりも向こう側にあるので、やはりフラッシュは使ってないように思います。また、レンズの付着物とは考えがたいです。付着物が光れば写真はとれません。ご神霊かもしれませんね。見た瞬間、龍に見えました。この光は長いと思います。」と、周りでは今この話題で持ちきりです。


水屋神社御祭神のお話 第三回 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)様

 天児屋根命様といえば、ここ近年の春日大社との関係から、氏子崇敬者の皆様にはすっかり馴染みとなられたのではないでしょうか。いうまでもなく当社の祖神でもあります。
 この神様は日本の神話において大変よく触れられる重要な神様で、天罪や国罪を払う(穢れを祓う)最高の神として天照大神様にお仕えし、後裔は天皇家と古代の神の子孫との間を取り持ち、八百万の神々様の霊を慰める大役も果たしました。また天児屋根命様の第四世大鹿島命(オオカシマノミコト)様は伊勢神宮の初代神官となり、その後代々中臣を姓とし、春日大社を氏神とする藤原氏の祖先神としても崇められています。
  このような神様ですから、赤桶に伝わる「国分け神話」で出現する「春日の神」や、その神話に関係する「お水送り神事」において、重要な意義づけができる神様です。
 この赤桶の地がかつて、大和国の東端であったことから、大和国の総氏神である春日大社の建築である、柱を全て極朱で染める「春日造」に作り変えていること、この神様が祖神として当社でお祀りもうしあげていること、これらには沢山の必然があるわけです。写真は岩手県大迫町に伝わる仮面。(「岩手県立博物館ホームページ」より転載)。(細)


新発見! 飯高町乙栗子に関する資料の紹介

 当社出仕である細谷は、現在伊勢にあります「神宮文庫」という資料収蔵施設で、金曜日の一日お世話になっております。そこには、何十万点という古文書が収蔵、管理されています。古文書に伝えられる記録というのは大変かけがえのない、世に出ていない情報が多く、毎週金曜日は忙しく過ごさせて頂いております。
 さて、「神宮文庫」は本年三月まで一般公開されていまして、その時に個人的研究の為、史料を紐解いておりましたら、この飯高町の乙栗子の情報が載っている史料が出てまいりました。
 大要は、今をさかのぼること約一八〇年前の文政十二年、伊勢神宮の内宮において式年遷宮がございました。その時の神殿造作の際、萱葺きの技術者として、乙栗子の者九名が神宮に招かれ、多大な費用の負担を受けながら、見事、工事を成し遂げた、と記されてありました。(『文政内宮遷宮記』)
 この飯高の地は、古くから瀧野が「御厨(みくりや)(伊勢神宮の領地)」として設けられ、柿や栗といった神饌を受け持っていたことはよく知られたところでありますが、乙栗子から栄誉、伊勢神宮の造営に携わった人物がいたということは、この飯高の地がそのような腕の良い、山の恵みをうまく生かす技術者が大勢いたことを匂わすものであろうかと思います。
 今は手元に控えが御座いませんが、今を去ること五百数十年前には、瀧野御厨が北畠氏の家臣に「押領」され(「おうりょう」 当時の言葉で、土地の横領のことです)、柿や栗といった貢納物が入ってこず、神宮の祭典をつかさどる役目の者が困っている、といった内容の史料も御座いました。
 以前の神報では「飯高町は史料がほとんどない」と述べた私ではありますが、丹念に調べていけば「まだまだある!」と最近考えを改めました。
 謎の多い当社を巡る歴史も、明らかになる日はいずれ来ることを確信する次第です。(細)


当社「しだれ桜」愛称公募の中間報告

 前回公募致しました当社「しだれ桜」の愛称につきまして、皆様から当社に案が届いており、嬉しい限りであります。現在集まりました幾つかをここに掲載致したいと存じます。

 「人恋桜」 松阪市 宇平百合子氏
 「結(むすび)桜(ざくら)」 奈良県山辺郡 今久保政嗣氏
 「水の屋桜」 東又 中原正一氏
 「龍神桜」 東又 中原正一氏  津市 山本美千代氏 
 「千代桜」「八千代桜」 東又 中原よしえ氏
 「勢(せい)春(しゅん)桜」 「さざれ桜」津市 西村眞一氏 
その他、「蘇民桜」「恋人桜」「恋桜」「閼伽桶桜」「豊玉桜」 など

 この写真は四月十五日に撮影されたものですが、当日は 晴天の日和で、撮影しながら眠ってしまうような暖かさが体を包む一日でした。
 もう岩手では葉桜を迎えたとか。またこの「しだれ桜」を見るのは来年となりました。その際、この桜は何と呼ばていることでしょうか。引き続き愛称を募集致しております。