『倭姫命世紀』によれば、垂仁天皇二十二年、天照大神がご鎮座される地を求めて伊勢に入られた倭姫命がこの地を旅したとき、お迎えした飯高氏の族長、乙加豆知命(おとかずちのみこと)にこの地の国名を聞かれ、乙加豆知命が「飯高国」と申し上げると、「飯高(ご飯が茶椀に高々と盛られている)とは貴い」とおよろこびになったといいます。
ところで宇栗子の深田林平さんから倭姫命が伊勢巡幸の際、作滝村の滝野神社に泊まられ(この神社はその昔高宮ともいわれ、天照大神と乙加豆知命が祀られていた。しかし明治四十四年に水屋神社に合祀され、現在では神社の跡地は公園になっている)、近くの池で自分の姿をお写しになり化粧をされた、という「姿見の池」があるはずだということを伺った。そこで私は深田さん、村瀬登遷宮委員長と共に村瀬正次郎作滝区長の案内によってその場所へ行ってみることにしました。
そこは櫛田川のほとりにあり、淵上和俊氏宅の裏手で、途中の道はいささか荒れてはいたが三人が思わず驚嘆の声を上げるほどの絶景地でした。池の傍にはまた完全な湧出(ゆで)=通称は「温湯(ぬくゆ)と言う」も残り、おいしい湧き水が滔々と流れ出しています。倭姫命がお化粧されたのもなるほどと頷けるわけです。是非この場所を整備し、標柱もしくは石碑を建てたいものです。
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